チャンバラ剣道ブログ

なまくら刀で一刀両断。斬られるのは世の中かこの俺か。

黒いマスクする人って、、

黒いマスクする人の気持ちが分からない。
ちょうどいま電車の中、目の前に立ってる人が坊主頭に黒マスク、さらにヒョウ柄の全身コートという出で立ち。この場合どちらかというと黒マスクはマッチしている。

わからないのは女性や、自分の子供に黒マスクをさせている親とかだ。

黒マスクは少し前の世代なら、暴走族をイメージさせるような代物ではないだろうか?それが今わりかし市民権を得始めているから、自分のついていけてなさに驚く。汚れがわからないので、あまり衛生的ではない気がするが、感覚はもう次世代なのだろう。

同じようなことが、いわゆるキラキラネームでも感じる。同世代で、同じような価値観で育ったと思ってい知人が、ある日突然キラキラネームを子供につける。あれ?!実はそういうセンスの人だったの?!と急に埋められない距離を感じる。

色んな新しいことが日進月歩で現れる現代。思えばかつて日本が鎖国から開国し、チョンマゲから洋装へ変わった時も、時代の変化に乗れる人、頑なに守る人、色々いたんだろうなあ。和服から洋服へ変わることに比べれば、キラキラネームや黒マスクは、本当に些細な変化だ。これを楽しむ余裕がないとな、、と思いつつもなかなかできない私でした。

アルマゲドンの男達のように強くなりたい

体を張った現場仕事の業界で生きる連中は強い。
学生の頃、舞台の照明会社でバイトをしていたが、これまた気性の激しい連中ばかりで、のんびり歩いていたら、どこからともなく「走れボケ!」の怒号が飛んできたものだ。

でもそのおかげで、さっと誰かのフォローに回るとか、危険予知と予めの対策に気が回るなど、常に周りを見られるようになった。

体を使う仕事は多くの場合、現場での連携が大事だ。パソコンに向かってパチパチやって、最終的に辻褄が合えばいい、というものではないからだ。リアルタイムでことが進んでいくのだ。

映画「アルマゲドン」を見た。冒頭の掘削屋の男達。命が危ういシーンでの連携プレー。当然一朝一夕にはできないが、オフィス通いの会社員には到底できそうにない。当たり前だ。でも彼らの大胆な判断と、細かいことにとらわれない生き様、そして仲間を大事にする姿勢は真似したい。そして彼らのように、後腐れなく、もっと感情を開放したいものだ。

たまには理由なく会社を休む、いいじゃないか

毎日会社と家の往復。
子供の成長は嬉しいし、週末は家族で団欒もありがたい。

だけど正直、頭の中が生活パターンで固まって来てる気がして、少し苦しくなる。弱音も吐かず、正しげなことをやり続けることが、時々目が回って気持ち悪くなってくる。

岡本太郎は自分の中に毒を持てと言った。なるほどと思っている。だがなかなか毒など持てない。どんな毒があるのか想像すらできない。でも言いたいことはなんとなく分かる。

今日は会社を休んだ。色々約束はあったけど、全部キャンセルして無理やり休んだ。体は比較的元気だ。やりたいことがあるわけではない。このところ鬱々としていて、気持ちが行き詰まってるような気がしたから、思い切って休むことにした。

まあ、なんと後ろめたいこと。でもいいじゃない

たまにはこういう日があっても。周りからすれば、大して迷惑でもないんだよ。逆の立場からすれば、休む?そうかい、ってなもんだ。


別にやりたいことがあるわけじゃない。
むしろ今のメンタルでは今日一日を持て余すだろう。
だが今日はぼーっと無駄に過ごすと決めたからそれでいい。無用の用と言うやつだ。

なぜ人はエロい行為の果にしか生まれないのか?

エロい行為は公衆の面前ではタブーとされる。

しかしエロい行為がなければ人類の繁栄はなかった。
というか、僕もあなたも、エロい行為の結果なのであって
言ってみればこの世はエロい行為が全てのスタートとなっている。

なのになぜエロい気持ちは
まるで汚らしいもののように扱われるのか?
エロくない人の方が、人間が出来ていると、一般的に評されるのは全くお門違いではないのか?


かと言って、性に対する欲望を丸出しにして、実際に身勝手なコトに及ぶと、身勝手なことをされた側はたまったもんじゃない。ていうか一生を左右する問題になる。

だからなのだろうか?この、種族繁栄に一番必要なものでありながら、ことさら下卑たものとして扱われるエロい気持ち。

うちのチビもこの4月で小学生。ころから色んなことを教えなければならないなかで、このエロというのが一番難しい。

エロの扱いについては、たぶん皆中学生頃からずっと整理などついていないだろう。僕も45歳にもなって、結局よくわからないのだ。小学生なんていわんがおやだ。

ただ程よい距離みたいのは教えてあげられるかな。あとは自分で一生もんもんと考えろと、言うしかないか(わざわざ言わないが)

なぜ人はエロい行為の果にしか生まれないのか?

エロい行為は公衆の面前ではタブーとされる。

しかしエロい行為がなければ人類の繁栄はなかった。
というか、僕もあなたも、エロい行為の結果なのであって
言ってみればこの世はエロい行為が全てのスタートとなっている。

なのになぜエロい気持ちは
まるで汚らしいもののように扱われるのか?
エロくない人の方が、人間が出来ていると、一般的に評されるのは全くお門違いではないのか?


かと言って、性に対する欲望を丸出しにして、実際に身勝手なコトに及ぶと、身勝手なことをされた側はたまったもんじゃない。ていうか一生を左右する問題になる。

だからなのだろうか?この、種族繁栄に一番必要なものでありながら、ことさら下卑たものとして扱われるエロい気持ち。

うちのチビもこの4月で小学生。ころから色んなことを教えなければならないなかで、このエロというのが一番難しい。

エロの扱いについては、たぶん皆中学生頃からずっと整理などついていないだろう。僕も45歳にもなって、結局よくわからないのだ。小学生なんていわんがおやだ。

ただ程よい距離みたいのは教えてあげられるかな。あとは自分で一生もんもんと考えろと、言うしかないか(わざわざ言わないが)

長く鬱々とした気持ちが晴れないよ、、

昨年12月くらいから
暗い気持ちが取れない。
子供2人も元気よく成長し
今が幸せなんだろうと頭で考えながらも
投げやりな気持ちが抜けない。
全てどうでもいい。
人の優しさや、人間としての向上心、
色んな価値観が目の前に現れるけど、
すぐにドロッと溶けてしまう感じ。
何も歯止めにならない
なんだかみんなもげていくようで怖い
うつ病なんて繊細な病気になるタマではないけど
ちょっとゾッとする。
別に一日の中で笑う時が皆無になったとかじゃない。
朝ダルくて起き上がれないとかじゃない。
でもなんなんだろう