チャンバラ剣道ブログ

なまくら刀で一刀両断。斬られるのは世の中かこの俺か。

サザエさんスポンサーに高須クリニック?!

どうやらそれはなくなったらしいが、
東芝サザエさんのスポンサーを降板する以降であることを受け、真っ先に金額交渉に入ったらしい。

しかしいつの間にか入札になっていたとのことで、最終的には入札から落ちたらしい。

あの国民的番組のスポンサー料がいくらなのかは知る由もないが、決して安い方ではないでしょう。高須クリニックってすごいね。

でも高須クリニックがそこでスポンサーになったとして、あの番組の視聴者層にアピールして意味があるのかな、、

鍵の束を道で拾ったら

鍵の束を道で拾ったら、どうしたらよいか。

今朝、駅に向かう時、車の鍵を含む、ものすごい量の鍵の束を道で見つけてしまった。

警察に届けるか。

以前携帯を落として、警察に届けたところ、2週間後に全く予想だにしない県の警察から電話が来て、見つかったことを知らせてくれたことがあった。聞くと、県警どうしは何の案件共有もしていないから、もし自分の県の警察に届けているなら、捜索依頼を取り消して上げてほしいとのこと。まあそれでいろいろと手続きに苦労した記憶がある。

で、今回。もしかしたら落とし主はすぐ戻ってきて、やれやれここにあったか、で済むかもしれない。しかし雰囲気的に、結構時間が立っており、恐らく今はすでに電車の中だ。

となると悪い奴が悪いことする前に警察に届けた方がいい気がするが、それはそれで話を複雑にしてしまう気もする。しかしこんだけの鍵がなくなったとするとまず不便で、とりあえず今夜は帰宅しても家に入れないなんてことにもなる。車も使えない。

だが待て。他人の鍵なんか一銭の価値も無いし、そもそも誰のものかどこの家かも分からなければ悪用もできない。ならば、このままおいておいても、結局誰も持って行かず、帰りに落とし主が、奇跡に感動というハッピーエンドが必然の流れか。

という葛藤をしながら通り過ぎようとした時、単に意地悪でドブに捨てるやつがいるかも、と思い至る。うむ、この鍵をどうこうする気はなくても、蹴っ飛ばしてドブに入ってしまうとか、犬が加えて秘密の場所に持っていくとか、一日放置しておけば、相当色々なことが起こると考えられる。

というわけで僕は警察に届けた。
考えられることは考えた。悔いはない。

そうして胸を張って警察に行った。
が、対応した警察官、ものすごく面倒臭そうな顔しやがった!!こんちくしょう!

元気がない 光がない 休みたい

ここ数日、色々うまく行かないことがあって、何だか元気が出ない。
うつ病からようやく復帰できそうな友人からの誘いも、断ってしまった。しかもカミさんに連絡してもらった。友達甲斐のない奴だ。

父の教育は怖かった。気がする。自分が先に死んだら母と必ず一緒に暮らせと何度も厳命されているが、妻は実家近くへの引っ越しを良しとせず、結局結婚から15年近く経っている今も賃貸マンション。家をどうするか、以前腹を割って話したが、妻は寝込んてしまった。それいらいこの問題は棚上げ、お互い触れることもない。父の厳命と、夫婦の事情。
解決するには誰かが我慢しなければならない。僕の我慢で済むならいくらでも我慢するのだが、どちらに我慢させるにも、なかなか厳しい。

もう考えるのが嫌になる。もう10年もここで止まっているのだ。本当に決断を下せない情けない自分がいる。夫としても息子としても、単なる男としても、自分で考えられない、自分で決められない、自分で言い出せない、きちんと成長できなかった人間だ。

仕事も、もはや一念発起するタイミングものがしている。そして何より、頑張れる気がしない。今「屍人荘の殺人」というミステリーを呑気に読んでいるが、そこに出てくるゾンビとそんなに変わらない。生ける屍となっている。

それじゃ嫌なのだ。だけど声を上げるのも恥ずかしくて、顔を上げることすらできない。それじゃ嫌なのだ。僕だってそれじゃ嫌なのだ。

何を変えれば、何を始めればこの状態から抜け出せるのだろう。この状態は嫌なのだ、死ぬほど嫌なのだ。

東京都心では一休みするにもお金がかかる

昼休み、いつも思うが
昼食をとったあとの居場所がない。

会社には戻りたくないし
かと言って飯を食った店に
一時間も粘るわけにはいかない。

したがって公園か喫茶店か、、
となるのだが
真冬は公園もちと厳しい。

と言うわけで
どうしても会社に戻りたくないときは
喫茶店に入るが
そうすると食事と合わせて1000円、チーンである。
毎食千円なんて払えるかい。

今日は初めて、カフェ・ド・クリエでパスタセットを頼んだ。コーヒーと合わせて980円。僕も偉くなったものだ。

今このブログを書きながら待っているのだが、なかなかこない。きちんと作ってくれているのだね。きっと。

やった、来たよ〜!!ではいただきます。父ちゃんだけ贅沢してごめんね、たまにだから許してね。

親はなくとも子は育つ 今年7歳の息子、いつの間にかサッカーのドリブルが

久々に大きな公園に二人で行き
サッカーをした。

蹴ってきた玉に、
お!?なかなか蹴りが強くなったな、、

さらに狙いも定まっていて、きちんとこちらに届く。
なかなかよい。

そこで更にトラップの仕方、インサイド、インステップなど教えてやろうとすると、そこは猛烈に拒絶。相変わらず向上心とかない。

まあそんなこんなでダラダラ蹴り合いをして遊んでいて、
いつの間にかボールの取り合いになった。
巧みなボール裁きなどはもちろんないのだが、
ボールを蹴っては走って、またボールに追いつきまた蹴る。そうして僕の追跡を逃げ続けている。やがてその蹴る距離が短くなってきて、、、あれ?!これってドリブルじゃないのか?

そういつの間にか息子はなんだかんだとドリブルがてきるようになっていた。聞くと、保育園でサッカーをやっている、と言うわけでもないらしい。

何だか色々心配の絶えない長男だが、ちょっと心強く思った今日であった。

何をやってもだめな45年間

いい加減、自分が嫌になった。
意に反して、僕はダメなやつだったらしい。
もう認めるしかない。認めた。

1つ目の会社は営業だったが
入社すぐに大手契約1件をとった。ビギナーズラックだった。今考えると、それが勘違いの始まりだったのかもしれない。

5年の在席中、それ以外は全くぱっとせず
転職した。

その後ネット系のベンチャーに入るも、
ノルマ達成は一回あったかなかったか。
顧客とべったりの営業方法についていけず
技術職に転属。
一文字の入力間違いが命取りのサーバー運営でいくつも失敗をやらかし
最後はでかいミスを犯して、激怒した顧客が社長に猛抗議。反省文を何度も書き直しさせられる。何とか3年在籍も、その会社が買収されるタイミングで転職。33歳。

3社目は再び営業で入り、割と勢いよくやって、実績はないのに雰囲気で主任にしてもらうが、その後、会社吸収合併にあたり降格。
その後、その会社が合併を繰り返し、いつの間にか大手企業に在籍する形になったが、平社員のまま今年45歳を迎える。ついに上司は年下女性。先日はみんなの前で呼び捨てにされ、さすがに笑えなかった。

中学生では生徒会長もやり、高校まで成績も優秀、割とレベルの高い人間というセルフイメージで、社会に出た。

最初の会社が零細だったので、国立大学出身ということでかなりチヤホヤされ、ビギナーズラックも働いて、そのまま「他の人より優秀」との自尊心を根っこに持ってしまった。


今大企業の最下層にいてもまだ、環境が環境なら自分はすごい力を発揮するものと、心の中で思っている。

だが今ここに、履歴書には書けない、本当の自分の履歴をさらけ出してみて、自分には根本的に組織でやっていくための何かがかけていることに気付いた。

具体的に何がかけているかはこれから掘り起こすが、まずは自分は実力がない、というところからすべてスタートさせることにする。
自分で何かを判断するのも、まず疑ってかかるようにしよう。周りの人の原動機、考え方を参考にしよう。むしろ真似しよう。

今僕はとても苦しい。毎日苦しい。たぶん、自分で描く組織の中でのじぶんの姿と、現実のそれとのギャップが大きいからだろう。まずは諦めて、認めることから始めよう

プレミアムフライデーに思う、人生の残り時間と楽しみ方の変化

今日はプレミアムフライデー
浸透もなかなかしてないようだが
まあ、ハナキンということでいいじゃないか。

しかし皆、早く上がった日には
一体何をしているのだろうか?

OZmallによると女性の場合、早く帰った人のうち6割は、まっすぐ家に帰るそうだ。ただし、ちょっといいデザートを買ったりするなど、プチ贅沢をする人が多いとのこと。

男性は中高年が早上がりの割合が多く、女性と対照的な結果とリクルートの記事。中高年ということは、まあ飲み屋か帰宅だろうなあ。

その他は国内旅行が少々、外食少々、恋人、家族、友達などと過ごす、など。結局みんな忙しくて時間がないとは言うものの、時間があっても、または単発で数時間もらっても、何か猛烈にやりたいことがあるわけではないのだろう。まあ、普段やっているテレビゲームや読書や、ビデオ鑑賞や、などなどを、時間を気にせずゆったりやる、というのが、大方なのだろう。だから突然消費活動が活発になるという話には繋がらないのか。

でもこれがもし、1年間時間をあげる、もしくは、1ヶ月間あげる、となれば話は別だ。僕なら、、資格の予備校に入る、小説を書いてみる、家庭菜園を始める、海外や沖縄で過ごす、着付けを習う、、などなど楽しいことが色々思い浮かぶ。腰を据えてやりたい、新しいこと、という感じかな。要は夏休みの気分だ。


と、ここまで、与えられた時間に対応したやりたいことを考えていて、これは「人生の残り時間」と「やる気」との関係と似ているなあと感じた。

10代20代、やる気と希望に溢れ、何にでもなれる自分を走らせ続ける。

30代、まだまだ上を目指す。

40代、色々抱えるものも出てきて、マイペースに入る。

50代、勝負あったと諦観の境地、、

などになるのだろうか?今40半ばなのでそれ以上は分からないが、この先、自分は何に夢中になって、何を目標に生きていけばいいのか、考えると、時々ゾッとする時がある。

僕の今の仕事へのモチベーションからして、突然一念発起、メキメキ出世するとは思えない。仕事は楽しいときもあるが、帰ってビールが美味しく感じられることだけがその日の成果。子供の成長は楽しみだが、思春期やら学費やら、子供が置かれるこれからの世の中の環境など考えると、これまた昔のような湧き上がるパワー!という感じにはなれない。。

でも一つ、このブログを毎日続けている、というのが、実は今の僕の、ささやかな自信なのだ。人が変われるとしたら、一体どういう状態を「あいつは変わった」いってもらえるのか、またじぶんでそう思えるのか?
そんなことをぼんやり考えたとき、新たなことで、毎日続けていることがあれば、それはその人が「変わった」と言っていいのではないかと思っている。

仕事の仕方も、突然変えてみるのもいいけど
、小さな事でもいいから、結局それをずっと続けることが、仕事のやり方が変わったといえるのじゃないか。

という訳で40にして惑うどころか、自分の先行きに不安で夜も眠れない私は、誰も読んでくれていないこのブログでも、コツコツ続けようと思うのです。もしここまでこの下手な文章を読んでくれた方がいましたら本当にありがとうございます。もう少しで一ヶ月継続を達成します。続けていくうちに、僕自身何かを見つけ、変わるかもしれないじゃないか。そう思うと少しわくわくします。