ユーチューバーもいつかは認められる
今でこそ職業として認められているが、黎明期は大変だったろうなあという職業はいくらでもある。
モデル、手品誌、芸人、騎手、プロモデラー、まあ農耕でなく製造業でなく、知識職でもないものは、きっと開拓の歴史があるのだろう。
ユーチューバーも賛否両論あるが、やがて洗練されていき、きちんとした職業になる日が来るのだろう。
ゲーム作っている人たちだって、僕が子供の頃は変人みたいに言われていたが、今じゃれっきとしたクリエイターだ。
新しい道を開拓していく人たちはすごい。
寒い日
なんたか雪が降ってきそうに、今日は寒い。
雪が降ってほしい。
子供はなんでも宝物
公園で拾った、イガイガの形をしたスーパーボール。2歳のちびはたちまち宝物にして、何やら楽しんでいる。
思えば6歳の兄もいろいろなものを溜め込んでいた。海で拾った、生きている貝とかも。(後に異臭を放ち発覚)
子供にとっては、この世界はまだまだ知らないことだらけ。初めて見るもの、見たことあってもまだまだ珍しいもの、溢れている。
大人になると、大抵のことはなんとなく知っているので、世界に新鮮味がない。そのために、新鮮味を求めて旅行など行くのだろうか?
お昼はいつもカレーか麻婆豆腐
辛いものが好きで、毎度カレーライスと麻婆豆腐の昼飯。ほぼそれ以外はない。しかも最高ランクの辛さを指定。
辛いものは体を活性化してくれてよい、と勝手に決めつけているが、実際どうなのだろうと思い調べてみると、まあ、直接悪いことはなさそうだ。
まず味覚がおかしくなって、そのために濃い味を好むようになって、そのために生活習慣病になりやすくなる可能性がある、とあった。
あとは辛い成分が体外に排出されるまで、舌で感じているような強い刺激を体に与えるので、喘息持ちの人などは注意とか。
少し安心した。でも、汗が吹き出て、苦痛を感じながら食べる激辛が、体に負担をかけていないとは、やはり体感的に思えないので、多少は控えたほうがいいんだろうなあ。
でもあれなんだよね、きっとサウナとかと同じで、食べ終わったあとの爽快感はたまんないんだよね。自分をいじめたくなる生き物なんだよ、人間てきっと。
腐女子のつづ井さんて知ってるかい?
「腐女子のつづ井さん」というコミックがある。勢いがあるというか、ヘタウマというか、味わいのある絵で腐女子のリアルな会話やコミュニケーションを描いている。
ウェブで無料で読めるものもあるので、一回読んでほしいが、まあ、好きなものに夢中になる腐女子の姿がいじらしい。を超えて恐ろしい(笑)
でもこの、好きなものは好きなんだ!って言えた人って、本当にすごいなあと思う。
言えた人と、言えなかった人とでは、その後の人生において、付き合ってくる人も世界も大きく変わっていく。あくまで腐女子は趣味趣向の話なのでオタクの話にとどまるが、この「世界を切り開くエネルギー」みたいなものは、人間としての生きる力にも繋がっていくものではないだろうか?
やや飛躍しすぎかもしれないが、だからやがてこの腐女子が結婚し家族を持ったら、すごい力で家族を愛し守ってくれそうな気がするのだ。
またもし政治家になったら市民を大事にし、先生になったら子供を大事にし、、と、人生の中で色んな影響を世の中に与えてくれそうな気がする。
ま、今は単なるオタクなんだけどね(笑)
それでいいんだよ、人はどんどん変わっていくもの。変わんなくてもいいしさ。
オリンピックスポンサー降板相次ぐ
オリンピックスポンサーは4年間契約で200億円。これが重いというのだ。この金額の純利益を上げるためにはその10倍くらいの売上が必要だとするとその会社の2000億円の売上が宣伝費に回る。それは認知向上ではなく、ズバリ、イメージアップ。
確かに電機メーカーや飲料メーカーなど、似たりよったりの業界はイメージが大事なのだろう。オリンピック公式スポンサーで一番有名なコカ・コーラは、それこそスカッと爽やかコカ・コーラ。味も値段もなく、イメージだけの宣伝がほとんどだ。
でも、その公式スポンサーが次々に降板しているという。どこもできるなら続けたいだろう。イメージがよくなって困ることはないからだ。でも降りる。なぜなら売上に対して高過ぎるから。ご時世と、値段が釣り合わなくなったのだ。
かつてのロス五輪以降、オリンピックは儲かる、というのが常識だったが、ついにこれも曲がり角に来たのだろう。そもそもスポンサー降板の前に、立候補する都市がなくなってきている。
オリンピックというものが肥大化しすぎたのだろう。一種の、利権の塊のような世界。そう言えば、FIFAでは数年前に大汚職事件があったっけか。
2年後は日本でオリンピックが開催されるが、結局これも肥大化してミニマム開催からは程遠いものになってしまった。
高度な教育が一般化すると、みんなお互い欺きあう。少なくとも、自分だけが損するのではないか、もっとうまいやり方を隣は知っているのではないかと疑いが生じ始める。疑いが高まると自己防衛にも余念がなくなる。攻めにも守りにもお金が嵩み始める。
教育というのも、ある意味、良し悪しだ。
オリンピックはイベントとして、最高に楽しい。でもちょっとサイズが大きくなりすぎたかな。選手のプレッシャーも尋常ではないでしょう。
結論もないけど、何だか、誰かの、あるいは特定の個人ではないある種の集合体の欲望のために、オリンピックが食い潰されていってるような気がしてならない。
「盤上の向日葵」読み始めた
将棋の世界を舞台に、殺人事件の謎を追う話。
まだほんの読み始めだが、伏線がたくさん出てきてとても緊張感がある。読み進めたい。
今回本屋大賞のラインナップを見ていると、この「盤上の向日葵」が将棋界、「騙し絵の牙」が出版界、「かがみの孤城」が子供界、「屍人荘の殺人」が密室モノ、、、と見ていくと、割と扱うテーマが古典的というか、変なものには手を出してないなあ。IT、コンピュータモノとか、変な専門モノとかは見られない。
まあ安定していていいんだけど、未来の世界や、ミクロの世界を描いたハリウッド映画のような、まだ見たことのない世界!みたいなチャレンジングなものは入ってこないよなあ。
結局SF作家はそもそもそうなんだけど、何かの専門性を持つということは二足以上ののわらじが必要な訳で、たとえば科学の東野圭吾、たとえば医学の海堂尊、たとえば武術の津本陽、のような、作家になる前のあるいは平行して深めている職業やライフワークがそのまま作品の世界になるような人を除けば、一般的な日常生活、もしくは実際に起きた事件を参考に描くしかない。
でもこの「盤上の向日葵」は将棋の、かなりディープな部分を舞台にしている。これは将棋という割と身近なものの、実はその深い部分はほとんどの人が知らない、という絶妙なモチーフをチョイスしている。そしてその厳しい世界を描くことで、凜とした世界觀を醸し出している。
この作品は最後にどんな驚きを与えてくれるのかわからないけど、テーマを将棋に持ってきたところで、すでに面白い。
思えば塩田武士のデビュー作、「盤上のアルファ」も将棋。将棋は深いゆえに、小説の題材になりやすいのか?